DOTAMA(2017年UMBチャンピオン)インタビュー

DOTAMA(2017年UMBチャンピオン)インタビュー

シェアする Facebook Twitter LinkedIn

DOTAMA(2017年UMBチャンピオン)インタビュー

Facebook Twitter LinkedIn

人気テレビ番組『フリースタイルダンジョン』にてモンスターとして活躍するなど、MCバトルの世界では誰もが知る存在であり、数々のMCバトルの大会で輝かしい戦績を残してきたDOTAMA。その彼が何度も何度も挑戦しながら、到達することの出来なかったMCバトルの最高峰である『UMB』(=ULTIMATE MC BATTLE)の頂点の座だが、ついに2017年末に行なわれた『UMB GRAND CHAMPIONSHIP 2017』にて悲願の初優勝を果たした。

人気テレビ番組『フリースタイルダンジョン』にてモンスターとして活躍するなど、MCバトルの世界では誰もが知る存在であり、数々のMCバトルの大会で輝かしい戦績を残してきたDOTAMA。その彼が何度も何度も挑戦しながら、到達することの出来なかったMCバトルの最高峰である『UMB』(=ULTIMATE MC BATTLE)の頂点の座だが、ついに2017年末に行なわれた『UMB GRAND CHAMPIONSHIP 2017』にて悲願の初優勝を果たした。今回のロングインタビューでは『UMB』優勝についてはもちろんのこと、約15年に亘るDOTAMAのバトル遍歴から、自らのラップのスタイルなど様々な話を伺い、さらに最後にはSHUREのマイクへの思いも聞いてみた。

取材・文・写真(一部) / 大前 至

 

–まず、ヒップホップに出会う前はどういう音楽を聴いていましたか?

最初に購入したCDはB'zの『SURVIVE』というアルバムでした。中学時代、同級生はビジュアル系をよく聴いていたのですが、ミクスチャーバンドのムーブメントも非常に盛り上がっていて、Dragon Ashさんからラッパ我リヤさんを知り、様々なHIPHOPを聴くようになりました。

 

–過去のインタビューを拝見したところ、ラッパ我リヤがゲスト参加したDragon Ashの「Deep Impact」の衝撃が大きかったそうですね?

「Deep Impact」は当時、テレビCMで流れていて、その格好良さに釘付けになりました。フィーチャリングで参加されている我リヤ(ラッパ我リヤ)さんのメンバーが「Q」さんと「山田マン」さんというお名前で。「山田にマンが付いてる」と衝撃を受けた記憶があります。お名前のインパクトはもちろん、ラップも最高にカッコイイ。そんなクールさとユーモアに魅了され、のめり込んでいきました。

 

–そこから自然と自分でもラップしようと思ったわけですか?

そうです。当時、Jamiroquaiの「Virtural Insanity」という楽曲が話題になっていて。父のビデオカメラを借り、「Virtural Insanity」のミュージックビデオを真似をしながら、映像を撮ってラップしたのがきっかけです。最初は遊びからでしたが、4歳からの幼馴染で現在も活動を続けているラッパー、DUFFとデモを制作し、地元の栃木県で活動をスタートしました。

 

–ラップを自分でやるようになって、誰を手本にしましたか?

自分が聴いた作品でラップされている、全てのアーティストの方が手本になっています。例えば、ラッパ我リヤさんのファーストアルバム『SUPER HARD』に「金」という楽曲があります。お金というものの尊さ、それに惑わされる人間の危うさを、ストレート且つ含蓄あるリリックで歌っていて。そういった表現に感銘を受けました。自分の哲学や思想を格好良く音楽に出来る。それがHIPHOPなんだと、その時、自分は学びました。THA BLUE HERBのBOSS(BOSS THE MC)さんのリリックからも同じことを感じ取りました。そしてNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDさん。フロウの遊び心や巧みさというものを、ニトロさんの最高にクールなマイクリレーから自分は教えていただいたと思っています。

 

–ちなみに韻を踏むっていうのは、最初から出来ていたんでしょうか?

好きなアーティストさんの作品の歌詞カードを熟読しながら「こういう踏み方が出来るんだ!」と勉強していきましたが、即興の点では試行錯誤しました。自分の故郷、栃木県佐野市は片田舎だったのもあり、当時はサイファーをする仲間もいなければ、文化も無かった。なので技術を磨くには楽曲を制作するか、MCバトルに出るかしかなかったんです。

 

–最初にMCバトルに出たのは、いくつの時でしょうか?

2003年の『B-BOY PARK』の予選が最初です。18歳の時でした。KREVAさんが『B-BOY PARK』のMCバトルで三連覇をした翌年、漢さんが優勝されて。その時の漢さんと般若さんの決勝戦を、同世代のラッパーはみんな覚えていると思います。その翌年の2003年。自分が出場した予選には200人以上のMCがエントリーしました。あの当時、MCバトルは『B-BOY PARK』だけでしたが、お二人の名勝負があったからこそ、沢山のバトルMCが集結したんだと思います。

 

–ちなみにその時の結果はいかがでしたか?

川崎のCLUB CITTA'さんで予選があって。一回戦はなんとか突破しましたが、二回戦でUSU(aka SQUEZ)さんに負けました。当時、宅録でデモCDは制作していたのですが、まだ人前でライブをしたことがほぼなくて。緊張で、バトル中に歌詞が飛んでしまいました。言葉が全く出てこなかったんです。試合に負けた悔しさよりも「自分はステージに立つための基礎体力がない。スタートラインにも立てていない」という恥ずかしさで落ち込みました。だからこそ努力しなければと決心し、様々なバトルに出場しました。2004年には『UMB』の前身の『お黙り!ラップ道場』が新宿のHOOPさんで始まって、それにも出場させてもらいました。

 

–MCバトルを始めるようになって、どういうところが自分に向いていると感じましたか?

自分は元から声が大きくて通る方なのかな、となんとなく自覚していたので、漠然と自信はありました。ただ、それ以外は死ぬ程ヘタクソだったので、今振り返ってみるとめちゃくちゃ恥ずかしいです。作品は作り込んでいましたが、即興に関しては、今の若い子たちみたいに高度に言葉を組み立てられないし、文脈の整合性も何もなく、雑なラップでした。

 

–ちなみにその頃はサラリーマンとして働きながら、バトルにも出場していたそうですが、サラリーマンとラッパーの二足の草鞋は、それぞれお互いに影響を与えてたりはしていましたか?

実際にサラリーマンの生活をテーマに楽曲を作らせてもらっていました。『リストラクション~自主解雇のススメ~』というアルバムは丸々一枚、まさにそのテーマで歌っています。二足の草鞋は楽しいですがやはり大変な部分もありました。小売業だったので週末は休めない。なので隣の茨城県で開催されている『UMB』の水戸予選に出場してから、3時間かけて栃木に戻り、そのまま早朝出勤をしていました。無駄に体力はあったのでその生活を数年繰り返しました。純粋に、仕事もラップも両方楽しかったですね。

 

–スーツを着てバトルをするっていうのがDOTAMAさんのトレードマークでもありますが、あれも社会人っていうのを出そうと?

スーツが仕事着だったのがあります。自分にとって気合いの入る戦闘服というか。それとステージで如何にオリジナリティを出せるか。人と違うことをして、盛り上げたかったというのがあります。自分を表現者として鍛えてくれた『UMB』への恩義に報いたかったのもありますが、単純に、お客さまが見ていて面白いと思ってもらえるパフォーマンスをしたいと思ったのが理由です。

 

–DOTAMAさんのバトルのスタイルは、相手をとことんまでディスって追い詰めるというものですが、そのスタイルはどうやって生まれていったんでしょうか?

バトルだけでなく、ラッパーにはラッパーの数だけスタイルがあると思います。それぞれがそれぞれの個性、声、リリック、フロウを武器に、バトルでも作品でも表現すべきだと自分は考えます。最初はあまり意識していなかったのですが、自分だけにやれること、個性とは何かをを突き詰めていったスタイルが今の形だと、自分は分析しています。

 

–具体的に、その意識の変化はいつ頃からでしょうか?

明確に意識が変わったのは2013年です。『UMB』の東京予選で二回目の優勝をさせてもらって、もう一度決勝大会に行ける!となった時、このままじゃ優勝出来ない、と思いました。そして東京予選の直後から、サイファーに打ち込むようになりました。予選から決勝大会まで1ヶ月くらいしかなかったので、急ごしらえも急ごしらえだったのですが、なんとか決勝戦まで行かせてもらえて。恥ずかしながら、そこで初めてサイファーの楽しさを知ったんです。サイファーをすることで即興でラップをすることがさらに楽しくなっていきました。

 

–さらに2015年の『UMB』でも準優勝して、決勝大会連続出場を果たしながら、昨年(2017年)末にようやく初優勝を果たしたわけですが、そろそろ優勝をっていうプレッシャーはありましたか?

正直、昔は自分はあくまで笑かし役で良い、と思っていました。スーツを着て、HIPHOPという文化の中でアウトサイダーなスタイルを貫いていた。大会を盛り上げられたら、そこそこの戦績でコロって負けてしまえば良いや、と思っていたんです。ですがトーナメントに参加している、優勝したいと切望する数十人のMCの中から自分が優勝者になると「責任」が発生します。出場者全員の思いを背負って全国大会に行かなければいけない。それを何度も目の当たりにする内に「優勝しなければ」という責任感と覚悟が生まれていったんです。

 

–実際、去年の『UMB』のステージを観てて、優勝したいっていう気迫を感じましたね。

毎年、出場させてもらってるルーティンワークで麻痺していましたが、昨年末は、先ほど話した「優勝しなければ」という責任感より「優勝しても良いでしょ」という逆ギレの感情が自分の中にありました。毎年エントリー者数が1000人を超える中、第1回の『お黙り!ラップ道場』から出場しているのは自分だけになってしまった。何の根拠も無いのですが、もうそろそろ良いんじゃないかなと、手前勝手ながらに思いました。正直、賞金はどうでも良かった。自分が13年間で『UMB』のために使った交通費や練習費を考えたら、優勝賞金の100万円でもマイナスになりますし。優勝の2文字だけが欲しかったんです。『UMB』はいつもトーナメントのくじ引きをトランプのカードを使って行なうのですが、なんとなく「1試合目に出たい」と思って引いたら、1試合目の後攻だった。その時点で、「今日は優勝しろとラップの神様がどこかで言ってるのかも」と図々しくも思いました。運命は信じませんが、今日はそういう日なのかと、その時感じたんです。

 

–あとから分析して、なんで優勝出来たんだと思いますか?

自分も様々なバトルに出場し、たくさん試合を見てきましたが、(決勝戦で当たった)ふぁんく君は過去最強のふぁんく君だったと思います。呂布(カルマ)さんも完璧に仕上げてきていたし、(準決勝で当たった)ニガリ君もそうだった。みんな本当に強かった。だから「負けても良いや」と開き直って、とにかく手数を出しまくりました。自分のやりたいようにやろうと。それでジャッジの時、お客さんが自分のことを選んでくれるのであれば、次の試合に行こうと。前日の29日に6時間レコーディングをしていて喉がボロボロだったのもあります。応援に来てくれた友人にはかすれ声で「今日は一回戦で負けます」と言っていました。逆にそれが良かったのかもしれません。開き直って、全く緊張していなかった。13年間『UMB』に出場してきましたが、2017年が一番緊張しなかった大会でした。

 

–ふぁんくとの決勝では3回も延長になって、スリリングな展開でしたね。

楽しかったです。決勝戦がふぁんく君で良かったと心から思っています。ユーモアに富み、完璧な攻め方のふぁんく君に対して、自分はとにかく手数を出しまくりました。自分が13年間出場している中で過去最多の延長本数でしたが、楽しくて、声もラップもボロボロでしたが、あと7回くらいはやりたいと思っていました。

 

–優勝しての率直な感想は?

嬉しかったです。時間が経ってから実感が湧きました。

 

–ちなみに優勝賞金の100万円は何に使いましたか?

4月22日に恵比寿LIQUIDROOMさんでワンマンライブを開催させていただいたのですが、その時の会場使用料に使わせてもらいました。普段、自分のライブにお越しいただいているお客さまにお礼がしたかったのと、少しでも自分のライブを見たことのないお客さまに足を運んでいただきたかったのがあります。

 

–『UMB』の優勝商品の一つがSHUREのゴールデンマイクですが、一番最初に買ったマイクって覚えていますか?

地元のホームセンター(のちの職場)で購入した3千円のマイクでした。当時、不勉強でポップガードの存在を知らなかったので、レコーディング時に息が吹きかかりノイズが入ってしまうのに困っていました。そこで実家にあったハンガーを捻じげて輪っかを作り、母のストッキングをかけ、ポップガード代わりにしてました。その後、SHUREの58(SM58)を購入させてもらいました。当時、地元の栃木県足利市にBBCというクラブがあり、イベントがある夜は地元のMCやDJ、トラックメイカーの方が多数集まっていて。そこでSHUREの58が良いと聞きました。その後、58の次に購入したのがSHUREのコンデンサーマイクです。

 

–コンデンサーマイクを選んだのは?

知り合ったビートメーカーの方に「DOTAMA君は声が高いから、コンデンサーの方が良いんじゃないかな?」と言っていただいたのがきっかけです。コンデンサーの方が高音が綺麗によく録れるというアドバイスをいただいて。購入して使ってみたら、やはり音が違いました。コンデンサーの方が音がパリッとしているというか。もちろん58も音が良いのですが、音圧が小さく、ミックスの際に加工が必要でした。ですがコンデンサーで録音すると、音の加工をしなくても、すでにもう加工したような音質で録れた感覚があり。その時の驚きをはっきり記憶しています。

 

–ライヴではやはり58が多いですか?

そうですね。ずっと使わせてもらってきたのもありますが、58がライブハウスさんにあると安心します。ワイヤードなので「PAさんの卓に繋がっている」という安心感もある。本当に有り難いお話なのですが、最近は大きいステージでライブをやらせてもらう機会が多く、どうしてもワイヤレスマイクになる場合があり。もちろんPAさんの音響チェックは毎回完璧でバッチリな音なのですが、ワイヤードの58が用意されていると、それだけで漠然と安心感があります。

 

–ライヴで使う上での、58の良さは何でしょうか?

自分は声の通りが良い方だとは思うので、それをそのままダイレクトに出してもらえるというか。通りの良さをぎゅっと固めて出力してくれる、みたいなイメージがあります。本当にごくたまにですが、別メーカーさんのマイクを使うと、自分の声が高いせいで「スッポーン」と抜けすぎてしまって、エコーがかかったような音像になってしまう時があり。その点、58は芯のある声になるというか、音像がブレず、太く表現してくれてる。そう感じます。58の立像感が自分はすごく好きです。

 

–マイクの持ち方とかのこだわりとかはありますか?

マイクの下ほうを軽く握る感じで持つように意識しています。上のほうを持つと、無意識に体の内側に包み込むように持ってしまい、メッシュの部分を手で覆ってしまうんです。力が入り、パフォーマンスも力んでしまう。だから下のほうをフワッと握るようにしています。ラッパーそれぞれのラップスタイルに合ったマイクの持ち方があると思いますが、自分はどちらかと言えば、滑舌良く、言葉を細かく並べていくスタイルの楽曲が多いので、この持ち方が合っている気がします。ただ、昨年末の『UMB』では力みすぎて、全然軽く握っていませんでした。一回戦目から自分の持ち味でもある、通りの良い声が全然出てないなあと自分で思っていたら、思いっきりマイクの頭のほうを握っていて。さっき昨年末の『UMB』決勝大会は緊張していなかったと言いましたが、内心ピリピリしていたんだなと、振り返って思います。

–他のラッパーのマイクの持ち方に関しては?

友人でもある千葉のラッパー、輪入道君のマイクの持ち方は本当に綺麗ですね。手と体の角度がきっちり直角。90度。力を込めながらもその姿勢を保って、パフォーマンスが出来るのは凄いです。たまにボソボソ呟くようにラップするスタイルのMCで、思いっきりマイクの頭を包むように持っている方がいます。以前は「声の通りが悪くなる」とお節介を抱いていたのですが、あれはあれで、天然のモコモコしたフィルターのような音像になり、そのMCが思い描く、世界観が出せる持ち方なんだなあと考えるようになりました。ですがもちろん、基本はメーカーさんが推奨する持ち方が良いと思います。たまに『UMB』の予選や他のMCバトルの大会でも、声が入りづらいマイクの持ち方をしているMCはいます。マイクが下の方を向いていて、興奮してくるとアゴが上を向いてしまうので声が拾えなくなる。自分がラップを始めた頃は、マイクの使い方を学ぶ場所はクラブやライブハウスでした。ステージに立つ先輩や仲間を見ながら勉強しました。今はYouTubeなどで映像資料も手に入りやすく、サイファー等で情報交換もしやすいので、素晴らしい時代だと思います。

 

–バトルとライヴでのマイクの使い方の違いはありますか?

マイクの使い方に区別はありません。ラップの仕方は意識しています。なるべくバトルとライブのラップスタイルを同じに出来るようにしています。

 

–最後に今後の予定などを聞かせてください。

2ヶ月に一度、都内で『社交辞令』という2マンライブの定期イベントを開催させていただいています。次回はバンドのトリプルファイヤーさんをお迎えし、6月24日に渋谷O-nestさんで開催します。それと僭越ながら、5月24日に『怒れる頭』という自分の自伝を出させていただきます。『UMB』についてもお話させていただいています。第一章では東京予選。最終章では昨年末の決勝大会のお話をしています。自分の過去の話も含め、作品やライブについて多々お話させていただいてますので、ぜひチェックしていただけたら嬉しいです。

 

 

【DOTAMA】

ラッパー。栃木県出身。ULTIMATE MC BATTLE 2017全国大会チャンピオン。TV番組「フリースタイルダンジョン」を 筆頭にMCバトルに多数出場。数多くのインパクトと成績を残す。現在までにソロ作品3枚を含め9枚のアルバムを発表。現代社会を前向きに、時にシニカルに。卓越した音楽性とスキルフルなラップで表現する。2018年3月、3rd Album「悪役」を発売。3月に恵比寿LIQUIDROOMにて開催したワンマンLIVE「ニューワンマン3」を成功させる。