アーティストとエンジニア~ Dub Master X インタビュー

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エンジニアアーティストの先駆けとなったダブミックスと独自のサウンドメイク

エンジニアアーティストの先駆けとなった
ダブミックスと独自のサウンドメイク

写真・取材・文:伊藤大輔
ライブ写真:西光祐輔

 

エンジニアと言えど千差万別、アーティストのプロデュースも行うマルチなタイプから、ライブの裏方に徹するPAエンジニア、ミュージシャンからエンジニアへと転向したクリエーター肌まで、さまざまなスタイルが存在する。今回ご紹介する"Dub MasterX"こと宮崎泉氏は、国内における"エンジニア・アーティスト"の先駆けとして知られる存在だ。1960年代後半にジャマイカで誕生したエンジニアによるリアルタイム・ミキシングを主導した音楽ジャンル、"ダブ"の方法論をいち早くPAエンジニアに取り入れ、PA=裏方の枠を越えて独自の路線で活躍してきた人物。今でこそ、ダブミックスはPAエンジニアリングにおいても知られる手法ではあるが、日本においては宮崎氏がその道を切り開いたといっても過言ではない。そんな開拓者精神を持った、氏のエンジニア哲学を紐解いていきたい。

宮崎氏は19歳の頃に、東京のクラブ・カルチャー発祥の地、原宿・ピテカントロプスに、PAエンジニアのアシスタントとして関わるようになった。当時より同地で活躍した桜井冬夫氏にエンジニアの基礎を学びながらも、宮崎氏がダブという手法を取り入れたのは、当時ピテカントロプスに出入りしていたレゲエ/ダブ・バンド、MUTE BEATの専属エンジニアになったことがきっかけだという。MUTE BEATは国内初の本格的なダブ・バンドとして、今もなお語り継がれる伝説の存在だ。当時は1980年代中頃、レゲエ/ダブのようにベースやドラムのキックといった低音楽器を際立たせたライブ・サウンドという発想自体がほとんどなかった。宮崎氏はディレイなどのエフェクターを持参しながらも、MUTE BEATのライブ現場で常に低音を出そうと試行錯誤を重ねていたという。もちろん当時、国内にダブ・エンジニアも存在しなかったため、宮崎氏はかなり異端な存在であった。

「僕はPA会社などに所属したことがなくて、エンジニアをはじめた頃からずっとフリーランスでした。それもあって、自分が興味を持っていることに人の顔色を気にすることなく挑戦できたのかもしれません。今思えば、若造(二十歳そこそこ)のエンジニアが卓にエフェクターを持ち込んで、何しているんだって思われていたかもしれませんよね(笑)」
その後、MUTE BEATの躍進とともに、宮崎氏もエンジニアとして名を馳せていく。89年に同バンドが解散して以降は、宮崎が師と仰ぐヤン富田に音楽制作のアドバイスを受けて、自身の作品「DUB WA CRAZY」を制作。当時、MUTE BEAT以外にJAGATARAのPAエンジニアも手掛けていたが、90年に共に活動を休止している。「ダブ・エンジニアって演奏する人がいないと、何もすることがなくなっちゃう。だから、苦手だったMIDIやサンプラーを使いながら、自分で打ち込みを使ってダブを表現しました」と語る宮崎氏は、90年代に入ると藤原ヒロシや元MUTE BEATの朝本浩文らとともに、ダブ・リミックスを手掛けるようになり、当時はまだ珍しかったリミキサーとしての道を邁進。加えてアレンンジャーとしても活躍するようになり、PAよりもレコーディング・エンジニアの比重が増えていく。2000年以降は芝居の音響に力を入れた時期もあったが、再びPAエンジニアへとシフトしていった。
「レコーディングのエンジニアリングはCDやレコードといった"決まった器"のなかで、いかに音を整理して作り込んで音量を稼ぐか……これはPAの世界と闘い方が異なるものです。僕もかれこれ10年間くらいはレコーディング・エンジニアをやってきたけど……音を細かく作り込める楽しさはあるのですが、なんかリニアじゃないなと思ったときがあって。その点、PAはまず人が演奏していて、そこにリアルタイムに自分が関わることで、一日のうちに善し悪しの結果が出るという、ある意味で嘘が通用しない世界。そこにあらためて面白みを感じて、やっぱりこっち(PA)を極めたいなって思うようになりました。ちょうど東日本大震災の少し前くらいのことですね」
ちなみに震災以前にも、Polarisでのダブミックス、朝本浩文や元Sugar SoulのアイコSUNによるドラムンベース・ユニット=KAMにおける地を這うようなサウンドで、PAエンジニアとしての手腕を再評価され、今ではメジャーからインディーズまで幅広いアーティストのライブ・サウンドを手掛けるようになった。レコーディング・エンジニアの経験を経ることで、「シーケンスとバンド・サウンドの整合性を巧く取れるようになった」と語るが、それ以前に、一聴して分かる独特のサウンド・メイクが氏の個性でもある。
そのことについて伺うと、20代の頃から同じサウンドの理想像を求めていたと語る。
「低音をドーンと出すと、体感的には大きい音がする。でも、昔から耳に痛い音が大嫌いだったんです。正直、ダブって名乗ってはいるものの、いわゆる60~70年代のルーツ・ダブ系のサウンドにはそんなに興味がなくて。むしろ好きだったのはそこから派生したUK系のサウンド。マッド・プロフェッサーや、トレヴァー・ホーンのZTTシリーズのような綺麗な音が好きでした。そのあたりにも共通するような、土台となる低音域をしっかりさせて、高い音になるに従い分量を減らしながらのせていく……ピラミッドのようなバランスの音を理想にしていました。そのやり方は今でも変わらないですね。でも、それに気づいたのは最近のことで、ようやくこれが僕のスタイルなんだって、腑に落ちたというか、だから、今はそれをもっと進化させたいって思っています」
各演奏者の原音を忠実に拡声するのが、宮崎氏のPAエンジニアリングにおける考え方。そのために重要なのはステージ内のサウンドだ。アーティストの優れた演奏やサウンドを引き出すためには、まず、ミュージシャンが演奏を楽しめる環境を作ること。そのためには、モニター位置はもちろん、時にはアンプや楽器のセッティングまで、アナログな手法で問題を解決していく。今回、宮崎氏の取材で訪れた柴田聡子のワンマンライブでは、サウンドチェック以外のほとんどの時間を、ステージ上の調整に費やす姿が印象に残った。「外音はフェーダー上げてバランスさえとればいい音は出るので、まずはステージ上の音を作るのが第一です」

 

Dub Masterの異名を取るリアルタイムのダブ・ミックスに加えて、氏が語る"ピラミッド理論"を聞くと、さぞコンソール前のEQなどのオペレートは素早いものなのだろうと、勝手に想像していたが、実際にはEQ処理はできるだけ避け、フェーダーのみでバランスを取っているようだ。ただし、土台となるキックの音作りが、氏のサウンド作りの肝であると言う。
「キックにはいつもSHUREのBETA 91AとBETA 52Aを立てて、この2チャンネルはEQをしないで使っています。それでいい音が出てくれば、それを基準に音を作れば間違いはない。もし、それでいい音がしなかったら、まずはハコのスピーカーをしっかりとチューニングします。僕にとってはスピーカーのチューニングが一番大事で、そこが九割くらいの比重を占める。そこさえクリアできれば、各チャンネルでEQを使うとすればハイパスフィルターくらいと、ボーカルの中低域を少し削るくらい。あとはフェーダーでミックス・バランスを整えればOKです」
宮崎氏が所有するBETA 91Aは改造が施されており、コネクターを取り外してケーブルと直結させている。BETA 91Aはアタックを際立たせるために、打面付近にセッティングされることも多いが、宮崎氏はできるだけ打面から離した位置にセッティングすると言う。
「BETA 52Aと収音する位置を揃えたいからです。BETA 91Aのコネクターを無くすことで、できるだけフロント・ヘッドに近づけられるでしょ? 僕は同じ楽器の音は、同じ距離で収音することでクリアになると思っていて。例えば、BETA 91AとBETA 52Aをキックに立てると、ローエンドやアタックはBETA 91Aで、そのほかの成分をBETA 52Aで補うといった使い方もしますが、僕はお互いのマイクの特性を生かして、曲によって2本のキックのフェーダーでバランスをとりながら音を作ります。例えばテンポが早い曲ならBETA 91Aを上げて、逆ならBETA 52Aをっていう。それくらい僕にとってはキックのサウンドは大事。BETA 91AとBETA52Aは、僕のエンジニアリングにとってなくてはならないものです」

写真:西光祐輔

写真:西光祐輔

 

取材当日、代官山UNITでの柴田聡子のライブサウンドを聴くと、氏が言うピラミッド理論のサウンドがよく理解できた。今回の公演は柴田にとって初のエレクトリック・トリオという編成。そのためダンス・ミュージックやダブ/レゲエといった低音重視型の音楽とは違うものの、キックやベースといった量感のある低域があり、ギターや打楽器、さらには金物がバランスよく配置されており、ピーキーなニュアンスがなくて聴きやすい。特に低域に量感があることで、アンサンブルの音量が下がったときでも音量感を失わず、そのうえでボーカルの存在感と艶っぽい質感が印象に残った。
また、ダブ・ミックスもボーカルが際立つポイントや、歌詞の意味合いをくみ取ったりと巧みな位置でのディレイの飛ばしが絶妙だ。
「ライブダブミックスはアーティストとエンジニアのインプロヴィゼーション。お互いに理解を深めることで、より良いダブミックスができる」と語る宮崎氏、ちなみに今回、初めて柴田のボーカル・マイクにSHURE KSM8を導入したという。
「KSM8は他社のマイクに比べて子音のヌケが、中域寄りにある印象がありました。吐息の空気感やニュアンスがしっかりと拾えるから、柴田さんみたいに情感が魅力を持った歌い手にはマッチすると思います」

写真:西光祐輔

写真:西光祐輔

 

国内エンジニア・アーティストの先駆者として、リミキサーにアレンジャー、さらにはアーティストとして、幅広く活躍してきた宮崎氏。だが、取材を進めるうちに、その根幹には、PAエンジニア然とした考え方があることが分かった。
「昔はスピーカーのチューニングをするときに、今みたいな計測器用マイクとソフトウェアを使ってLakeの様な複雑なことができる機材ではなくて、GEQとチャンデバ(チャンネル・ディバイダー)でやっていました。チャンデバってまずローをフルテンで出してから、ローミッド、ミッド、ハイってバランスを取るのが普通のことなんです。だから、僕がさっきから言っているピラミッド型のサウンド・バランスというのも、チャンデバを使ったチューニングから、来ているものだと思うんですよね」


柴田聡子のボーカルにはSHURE KSM8を使用。憂いと情感のある柴田の声質と見事にマッチしていた。


宮崎氏のサウンドメイクの要となるキックにはSHURE BETA 91AとBETA 52Aをセット。91Aはコネクターを取っ払い、52Aと近い位置に置かれている。


柴田はFENDER Mustangとアコースティックギターを併用。ギター・アンプのFENDER Champ ReverbにはSHURE SM57を使用。


ドラムのタムにはSHURE BETA 98Sが設置された。


スネアのトップにはSHURE SM57をチョイス。宮崎氏はSHUREのマイクの絶対的な安心感を評価していた。


スネアのボトムにも同じくSHURE SM57を設置。スネアのトップとボトムをSHURE SM57で狙うのは宮崎氏の定番セットでもある。


ドラムのコーラスマイクにはSHURE BETA 58Aをチョイス。

 


ベースのアンプとコーラスにはSHURE BETA 58Aを使用。


宮崎氏が愛用するディレイ・マシーンは、お手製と思いきや中味はストンプボックスのLine6 DL4。筐体やスイッチを交換し、手で扱いやすいように工夫されている。


リハーサル中にステージの中音をチェックする宮崎氏。写真はボーカルのモニターサウンドをチューニングしているところ。

 

【Dub Master X プロフィール】

1963年生まれ、札幌出身。原宿ピテカントロプスの専属PAエンジニアとしてキャリアをスタートさせる。その後はMUTE BEATの専属として、国内初のダブ・エンジニアとして頭角を現わす。同バンド解散後は、自身の作品をリリースしたり、藤原ヒロシや朝本浩文らとリミックスを手掛けるようになると、小沢健二から安室奈美恵、松田聖子まで幅広いアーティストのリミックスを手掛け、90年代の音楽シーンにおいてリミキサー/エンジニアの先駆けとして重要な役割を果たす。その後はふたたびPAエンジニアとして活躍。現在はDef Tech、SUGIZO、柴咲コウ、m-floといったメジャー・アーティストから小島麻由美、かさきさいだぁ、SOUR、柴田聡子などの個性的なアーティストまで、メジャー/インディーズを問わず、幅広いアーティストのライブサウンドを手掛けている。